経堂のスーパーで珍しく父の田舎の日本酒を発見。銘柄は「栄光富士」鶴岡市大山と言う町の蔵元。その大山が父の生まれた町。日本酒の蔵元が沢山ある街みたいです。毎年2月に日本酒祭りが催されるらしいです。
日本酒祭りは有名です。今でも4つの蔵元があります。地元の小林達夫氏が2008年にイベント用に過去の蔵元について調査・発表しました。その書類があります。
大山という町は、戦国時代は武藤家や最上家に支配された土地。上杉・伊達の影響を受けた戦国大名が奪い合った土地です。江戸時代においても徳川方の酒井氏が鶴岡にいましたが、大山地区は独立性が高く、天領になったり自治領になったりを繰り返した町で、鶴岡と隣り合わせの町ですが鶴岡とは一味違います。「大山魂」なる言葉があるぐらいです。誇り高き町ですね。現在は大山1丁目のような住所表記ですが、1970年頃までは武藤氏の山城である尾蒲城の城下町だった影響を受け、城下町としての特有の町名が使われていました。
| 町名 | 由来 |
|---|---|
| 馬町 | 武士が乗る馬を飼育管理していた町 |
| 本町・上本町・下本町 | 町人が住んでいた町 |
| 殿町 | 武士が住んでいた町 |
| 鍛冶町 | 鍛冶屋が住んでいた町 |
| 染屋町 | 染物職人が住んでいた町 |
| 大工町 | 大工が住んでいた町 |
| 銅片町 | 鍋窯の職人が住んでいた町 |
| 銅屋町 | 銅細工の職人が住んでいた町 |
| 山の手 | 山城の裾野の町 |
| 木七町 | 大木が7本あった |
| 安良町 | 商人が住んでいた町 |
| 友江 | 大山川の川岸の町 |
| 西町 | 西側にある町 |
| 南町 | 南側にある町 |
| 向町 | 大山川の向こう岸の集落 |
| 新町 | 安良町と木七町の隣にできた集落 |
| ☆ここ以降は、明治以降の町 | |
| 上栄町 | JR羽越本線「羽前大山」駅に伴い出来た町 |
| 栄町 | 上栄町と向町の間 |
| 天保町 | 南町と上栄町の中間 |
| ☆平成以降、便宜上、2~3追加 | 新規の宅地開発による |
現在も残っている蔵元は4蔵ある
| 蔵元 | 所在地 | 創業者 | 銘柄 |
|---|---|---|---|
| 白梅 | 鍛治町 | 羽根田与治兵衛 | 白梅 |
| 冨士 | 本町 | 加藤専助 | 栄光 冨士 |
| 大山 | 本町 | 加藤嘉八郎(冨士の分家)(大山公園を造成した人) | 大山 |
| 白雪 | 友江 | 渡會亥之七 | 白雪 |
| 芳之山 | 銅屋町 | 桜井伊右衛門(1972年ぐらいまで存在した) | 旭桜 |
もう既に廃業したか、移転した蔵元
| 蔵元 | 所在地 | 創業者 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 澤之鶴 | 本町 | 田中安兵衛 | 天童市の「 澤之鶴 」と関係はあるのか? |
| 三美 | 大工町 | 坂口喜兵衛 | |
| 松乃露 | 安良町 | 佐藤惣治郎 | |
| 吉野川 | 本町 | 富樫権次郎 | |
| 隅田川 | 本町 | 田中太四郎 | |
| 松之井 | 本町 | 加藤幸助 | |
| 朝日山 | 鍛冶町 | 佐藤金左衛門 | |
| 清井 | 鍛冶町 | 佐藤吉右衛門 | |
| 蓬莱 | 本町 | 田中要介 | |
| 小柳 | 本町 | 石田多七 | |
| 三笠山 | 本町 | 鈴木謙太郎 | |
| 鯉之瀧 | 染屋町 | 橋本五郎兵衛 | |
| 相生 | 本町 | 中里四朗右衛門 | |
| 石之井 | 本町 | 中里幸右衛門 | |
| 石清水 | 鍛冶町 | 大瀧清介 | |
| 初音 | 安良町 | 田中三郎治 | |
| 明烏 | 本町 | 田中八郎兵衛 | |
| 養老 | 本町 | 大瀧三郎 | |
| 亀之井 | 安良町 | 大瀧龍助 | 羽黒方面に同じ銘柄が現存する。移転したのか? |
| 応川 | 鍛冶町 | 羽田六兵衛 | |
| 千歳川 | 鍛冶町 | 石井源右衛門 | |
| 加茂川 | 本町 | 加藤長三郎 | |
| 山之井 | 本町 | 渡會格彌 | |
| 春之日 | 新町 | 田中太郎左衛門 | |
| 常盤井 | 本町 | 大瀧直之助 | |
| 瀧門 | 安良町 | 大瀧清三郎 | |
| 清正 | 本町 | 加藤専十郎 | |
| 桂川 | 本町 | 田中三郎右衛門 | |
| 初緑 | 本町 | 加藤幸五郎 | |
| 白露 | 安良町 | 石井源次郎 | |
| 菊川 | 木七町 | 羽根田喜惣太 | |
| 磐清水 | 大工町 | 羽根田与平太 | |
| 歌川 | 大工町 | 田中三郎兵衛 | |
| 梅川 | 大工町 | 羽根田嘉右エ門 | |
| 初菊 | 友江 | 本間八右衛門 |
とまぁ、優に40蔵元を数えるだけ存在したのだった。米どころであると同時に、きれいな水を井戸水として得ることが出来た土地柄によるものだろう。小学校のグラウンド1面分の広さの井戸を所有している酒蔵もあるらしい。
また、日本酒に関連する業種の事業(例えば、酒樽の製作・酒粕を使った漬物)も多く、酒の職人・樽の職人など、日本全国から修行の為に人が集まった時代もあったらしい。
ただ、商売は下手だと思う。地産地消でそこそこ利益が出るので、あまり県外・国外への販売ルートの開拓には一生懸命ではなかったらしい。県外出荷に関して言えば、AtoCの消費者直販はやっていない蔵元が多い。問屋に卸すのが主流の様だ。
2年ほど前に、かなり大きな地震があり、出来上がった日本酒の樽や瓶が壊れて大打撃を受けた。その時に地元の有志がHPなどを活用して被害にあった蔵元のお酒の全国販売を行ったが、当の蔵元は問屋への仁義を通して、自分から直販は行わなかった。このあたりにも「大山魂」が活きていると言えるだろう。
過去1964年の新潟地震の時にも同様に危機を乗り切った実績があるが故なのだろうか?
大山以外にも多くの蔵元
この大山と言う町以外にも、庄内地方には蔵元が多数存在する。
酒田の「初孫」、羽黒の「竹の露」など、列挙しきれない。
グランさん、貴重な情報ありがとう。
